2004年3月13日土曜日

思うこと、昔と今

私は1961年に画家として仕事を始めたが、美術学校には行っていない。 アメリカの大学では、文学と哲学を専攻し、将来は出版関係か美術館の仕事をしたいと思っていた。 マスターの学位をとる時に、論文にそえて何かアートフォームを提出するようにと教授に言われ、絵を画くことに決めた。 音楽もダンスも出来ないし、他のアートフォームはお金がかかりすぎて、学生の私には無理だったからだ。 それで私は、20枚のカンバスを画いて、美学論と共に油絵の個展を、論文委員会に提出した。 その後、度々個展をひらいたニューヨークでは、抽象表現派と批評され、今でも同じようなスタイルで画いている。

画題は画面の良し悪しを決める重要素だと思うが、私はそれを基にして絵を画きはじめたことはない。 真っ白な画面にむっかて、手近にある絵の具を使い、何にもとらわれずに自由に画きだす。 この段階での私の関心事は、画面の構造である。 どのような芸術形態でも、その構造が一番大切だと私は思う。 絵画を例にとると、構造に力が入っておれば、画題と色を無視しても、表現したい要素は残る。 だから私も、描きだしの段階で、土台を築きあげることに専念する。 それは、自分の演技のための舞台装置を作っているようなものである。

最初の段階で決めた絵の構造にそって、フォルムと色彩をだんだん築きあげてゆくうちに、或る詩情が浮かんでくる。 それを見失わないようにして画いていると、メッセージがはっきりしてきて、それが画題となる。 たとえば私の「山桜」の場合は、大体出来上がったバックグランドの上に、桜の花をいくつか描いてみた時だった。 高浜虚子の「咲き満ちてこぼるる花もなかりけり」という俳句が頭に浮かんで、それから後は、桜が精一杯に生きている姿を、画面に表現することに専念した。

* * * * * *

上記のエッセイを書いてから十年経った。私の絵のスタイルや描きかたは、あまり変わっていない。 けれども私の人生はすっかり変わった。 春が来れば、あの山桜はいまでも見事に咲き誇る…しかし周りの木々はもうない。 自由な生活かもしれないが、私は今は孤独な旅人である。

真実を求めて巡礼をつずける私… 一人のエトランジェ… なにはともあれ他所の者… 落ち着く所はないのかも知れない。 若山牧水の短歌を想いだす… 「幾山河越えさりゆかば淋しさの果てなむ国ぞ独り旅ゆく」。

この路を私は独りぼつぼつと歩きつずける… 同じように真実を求める巡礼者が、世界中にいることを考えながら… 。

Virginia にて、

Tei Matsushita Scott

2004年11月

秋 ま つ り



36" x 28"

祭りの季節... 天候の憂い、害虫の心配など、もうみんな過去のこと!
満ちたりし
心うちこむ
大太鼓
太鼓のひびきが、長かった畑仕事の苦労を語り、その終了を告げている。 とどろく音は、秋色深い遙かな丘に、つきあたっては返り、そのこだまは、澄みきった空をわたって、村人のよろこびを歌う。
こだまする
祭り太鼓や
秋の丘

座 禅



36" x 26"

半眼の息深く、この一瞬にすべてを集中するとき、感ずるのは生きることのありがたさ!
眼閉ずれば
わがいのちのみ
ここにあり
そして、周辺に意識をもどす。 自然の吐息を、身辺に感ずることの、なんとありがたきこと!
座禅せり--
小春日和の
鳥の声